

泉さん「都会という表現も古いか(笑)。都心に近くて自然にあふれている地域じゃないかと思いますね。崖の上あたりから見下ろす眺望というのもなかなかいい所で。その昔は妙正寺川沿いに田んぼが広がっていて、昭和の初めくらいまでは、蛍の名所として知られた場所と聞きますけどね。」
泉さん「西武線は新宿線と、北の方には池袋線が走っていて、目白通りもバスが走っていて。
ちょっと洒落たレストランがあったり、一本北側の裏道のところに、なかなかいい感じのアンティークショップとかワッフルの専門店があったんです。そういうおしゃれな通りなんかもありまして、目白はいまだに気に入っている街なんです。」

バリエーションに富んだ重ねそばなど、全国津々浦々の蕎麦が味わえます。民芸造りの建物には、和田邦坊画伯による大版画の天井や趣きのあるいろり席など、見た目にも楽しい一店です。

椎名町にある小料理屋は、最高級の白身魚クエをはじめ、全国から季節ごとの旬の素材をお取り寄せ。漁師自ら一夜干しにしたノドグロや蒸さずにたたいた鰻などの蒲焼きなど極上メニューが並びます。

泉さん「区立の落合第一小学校に通っていたんです。学校のすぐそばに、当時・東大の学長だった南原繁さんのお孫さんが同級生にいて、お互い切手を集めていて、切手の交換をしに遊びにいった思い出が残っているんです。今もお宅の跡は残っていると伺っています。四の坂からずっと坂道が続いているんですけど、この辺りは崖地、見晴らしのよい場所がいくつもあります。この四の坂からもう少しいった所かな、坂上の所が袋小路になっていて、その向こう側に新宿のビル街が見えるような場所があって、昔は見晴台と呼んでたポイントもあります。さっき、ザクロの木を見かけて思い出したんですけども、この辺りはザクロの木を植えているお宅が多いんだと思うんですよ。小学校5年生かな高学年の頃に、家の庭にザクロの木のある同級生の女の子がいて、彼女がザクロの実を持ってきて、教室に生けたんですよね。それを悪ガキ男子児童が休み時間に食い散らかして、先生にこっぴどく叱られたという。当時、宿題で日記をつけていたんですけど、その日のネタは「無惨なザクロ」という題で(笑)、反省文のような話を書いたという思い出が残っています。」

泉さん「東京の町はすぐに変貌する宿命にあるんですけど、比較的ほかの町と比べて、昔のお屋敷が残っている地域ではないかと思います。やっぱり大江戸線ができて、便利になりましたね。子供の頃、お祭りで出かけていた中井御霊神社というのがあって、そこを訪ねて云われ書きなんかを読むと、古代から伝わっているような弓を射る神事かな、非常に伝統的な催し物が今でも、引き継がれていたり。新たに歩いてみると、発見があったりして、それが楽しかったりしますね。」

泉さん「今はひら仮名書き(おとめ)になってますけど、もとは女性をいう乙女じゃなくて、御留と書くらしいんですね。昔からの俗称で、武家屋敷時代の名残の名前らしい、と聞いたことがあるんですが。僕の子供の頃はまだ公園として整備されていなくて、お屋敷の建物がなく、広大な野山の感じでした。入口のところにフェンスが張ってあったんですが、誰かが空けた小穴というより大きな穴があって、そこから入り込んで、ザリガニですとか、筋エビという淡水性の小エビがたくさんいて、そういうのを捕まえにくる場所だったんですね。」

地図で新宿区を見ると、犬のような格好をしている。その犬の頭の部分にあたるのが落合の地区である。僕は昭和31年に中落合3丁目(当時・下落合4丁目)の西北端、いまの落合南長崎駅の近くで生まれて(正確な出生地は聖母病院)、およそ30年、この町で暮らした。ほぼ昭和時代の後半を落合で過ごしたことになる。
通っていた小学校は、このマンションのすぐ裏手にある落合第一小学校。明治時代に開校した伝統的な学校で、校歌のなかにこの辺りの俗称である「翠ヶ丘」というフレーズが織りこまれていた。翠ヶ丘とともにもう一つ落合には、「文化村」という呼び名がある。これは大正12年の震災の直前に分譲が始まった高級住宅街で、その領域は落一小のある中落合2丁目から山手通りを渡った3丁目、さらに新目白通りの向こうの4丁目にかけてのあたりという。田園調布のようにはっきりと区画されているわけではないけれど、いまも所々に歴史を感じさせる洋館や凝ったつくりのお屋敷を眺めることができる。
落合の町並の特色は、なんといっても坂道が多いこと。西坂、霞坂、見晴坂、六天坂、中井の駅近くからは一の坂、二の坂…、数字名の坂が八の坂まで並んでいる。坂上から南方に広がる西新宿のビルが見渡せる絶景ポイントもいくつかある。昭和の初め頃に築かれた、趣きのある石垣の切り通しも落合らしい景観の一つである。この町に暮らした佐伯祐三の絵画に、そういった景色は描かれているけれど、椎名町や落合に仕事場をもっていた赤塚不二夫の漫画にも、石垣の切り通しや原っぱ越しの文化住宅のカットがよく出てくる。

昭和の初めに開けた歴史深い山の手住宅街――いや、もっと遡れば、落合台地の西端に位置する目白大学の構内には縄文時代の遺跡が存在する。つまり、そんな昔から暮らしやすい場所だったのだろう。