第一話CLASSY HOUSEって知ってる?
『総合商社のマンション事業』と聞いて皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか?世の中を見渡してみると、新築マンションの事業主は、『○○不動産』『○○開発』など会社名を聞いただけでもデベロッパーと推測できる場合が多く、住友商事は社名からも異彩を放っています。しかし、金属、輸送機、インフラ、資源など、住友商事の多岐にわたるグローバルな事業展開の中でも、不動産事業がその重要な一角を担い続けているのは、同社のルーツが大阪北港地帯の造成や隣接開発などを行っていた大阪北港(株)であったことに由来しています。住まいづくり、街づくり、サービスづくり、複合的に広がる開発。人が豊かに暮らす環境を生み出すためには、むしろ総合商社のもつ視点こそが重要であると考える方が自然なのかもしれません。
住友商事のマンション事業のスタートは1960年代まで遡ります。東京オリンピックで日本中が湧いた1964年、関西圏では民間事業で初となる「メゾン西宮」が誕生。これは現存するデベロッパーの中でも、五指に入る歴史の長さです。首都圏には66年に「久我山ハイム」、68年に「馬事公苑前ハイム」が誕生、まだ集合住宅と言えば長屋や木造アパートのような住まいが主流の時代において、ホテルのような上質な住まい、邸宅思想を発信してきました。その外観を見るだけでも、当時ではかなりモダンな生活を提案していたことが想像できます。
住友商事の住まいづくりは、総合商社への歩みと同じく、常に既成概念にとらわれないものでした。現在では当たり前のように感じますが、モデルルームを活用した販売や、住宅ローン制度の導入、管理規約の整備、一階専用庭付きの住戸プランニングなどをいち早く取り入れてきたことも、住友商事のマンション事業の歴史のひとつ。概念にとらわれない新たな発想を生み出してきた住友商事だからこそ、パイオニアとして日本のマンションの未来を照らす、業界革新の歴史を歩むことができたのです。
住友商事のマンションづくりは、住まいの骨格だけでなく、暮らし方の提案でもありました。バスルームなどの水廻りは換気のため外気が入る建物の隅に作るしかなかった当時のマンション。しかし、『夜、入浴するのに採光は必要なのか』という発想から、換気システムを導入。光のあたる必要の少ないバスルームやトイレを住まいの真ん中に配置することで、居室の採光条件を飛躍的に向上させることに成功しました。さらには配管を屋外に出すことで、メンテナンスを容易にするなど、永く快適に住むための配慮にも取り組むなど、次々と現在のスタンダードを生み出してきました。社名だけでなく、マンションづくりにおいても異彩を放ってきた存在。それが住友商事なのです。